石川遼の反省文の記事を書いていて、
まあ途中でdisる記事は書きたくないと思い、
私見は削除したわけですけど。
一般論として、
公人などの謝罪に触れて思うのは、
評価は0点か100点かしかない、
というのはウソで、
0点か200点だなと。
(株を上げるって意味)
そう思った切欠が、
SMAPの草彅剛さんの謝罪会見です。
彼は、自分の不祥事を隠すことなく、
自分を守ることなく、
記者の前に立って、自らが本心で反省の弁を述べていました。
この姿勢には、
好感しか芽生えませんでした。
謝る時は、謝る。
これにつきるなと。
実際、草彅剛さんの会見を見てから、
自分は謝る時は、言葉に力を込めて、
しっかり謝っています。
「自分が間違った。ごめん」と。
やってみると、
謝る気持ち良さ・清々しさは、
格別の物があります。
未だに多くの人がこれをできないなと思うのですが、
逆に自分は達成感に似たものもありますし、
(良い振る舞いが出来たという)
謝って、負けた・下になったといった感覚より、
どちらかと言えば、上になるような感じを覚えます。
人間、人と関わらずには生きていけません。
そして、
接すれば必ず、
摩擦熱が必ず生じます。
その熱は、
心地良い温かさの時もあれば、
不快な熱さの時もあります。
その不快さから、
揉めてしまうこともしばしば。
自分に誤りがある時は、
謝って仲直りすることが大事ですよね。
謝ってから再開する絆は、
不思議と強く・太くなっていて、
永遠かと信じれるぐらい、
長く続きます。
まるで筋トレですね。
そんな経験、
皆さんあるんじゃないでしょうか?
過ち
↓
謝罪
↓
仲直り
↓
その結果
もっと良くなる
この循環って、素敵ですよね。
そう考えると、
過ちに面しても、
正面から向き合える。
そういう正直さと勇気が
保てるように思います。
草彅剛さんから思い出してしまうのが、
SMAPの解散。
そして、スマスマで
ユーミンがこの歌に込めた想い。
包んでくれる優しさがあって、
守ってあげたいという人がいます。
解散はしてしまいましたが、
多くの人の想ってくる気持ちに包まれた中で、
お互いを許し合って、
再開する時が来ると良いですね。